今日はハロウィンです!ー1992年10月17日の米国で起きた悲劇を忘れてはなりません

こんにちは。日本橋人形町の弁護士・濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 今日10月31日は,ハロウィンです。

 当職がハロウィンを初めて知ったのは,中学か高校の英語の教科書でした。「いつの間にこれだけのイベントとなったのか感」が否めないハロウィンですが,日本に定着し始めたきっかけは多々あるようです。しかし, 一番の火付け役となったのは東京ディズニーランド(以下「TDL」といいます。)が開催したハロウィンイベントであると推察します。

 TDLでは,1997年(平成9年)に初めて秋のスペシャルイベント『ディズニー・ハッピーハロウィーン』を開催しました。当初は10月31日限定のイベントだったはずです。

 これをきっかけとして,TDLにおけるハロウィンイベントの規模が年々拡大し,1999年(平成11年)には『ハッピーハロウィーン・トワイライト・パレード』を開催。約400名のゲストが仮装し,ディズニーキャラクタ―とパレードを行いました。

 2001年(平成13年)ころから10月中に開催されるイベントとして定着し始め,現在では9月上旬から10月末ころまで開催されるディズニーランドの大きなイベントのひとつとなっています。

 経済効果でいえば,クリスマスに次ぐものと成長しているそうで,日本経済の発展に寄与している事実もあります。

 

 日本では本来の由来などおかまいなくバカ騒ぎしている感のあるハロウィンですが,当職が忘れられないのは,1992年10月17日に米国で起きた悲劇です。

 1992年10月17日,米国ルイジアナ州に留学していた当時,愛知県立高校の男子生徒(当時16歳)が,寄宿先のホストブラザーとともにハロウィンのパーティに出かけました。しかし,訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問したため,家人(当時30歳)から侵入者と判断されて拳銃を突きつけられ,「フリーズ(Freeze「動くな」の意味です。)」と警告されたのです。

 しかし,男子生徒は,「パーティに来たんです」と説明しながら家人の方に微笑みながら進んだため,玄関先で,家人から近距離で発砲されたのでした。男子生徒は,出血死しました。

 家人は,日本の刑法でいいますと傷害致死罪に相当する計画性のない殺人罪で起訴されたのですが,ルイジアナ州の地方裁判所陪審員は,12名(白人10名,黒人2名)全員一致で無罪の評決を下したのです。

 その後行われた,遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判においては,刑事裁判とは正反対の結果となりました。家人は,家に5丁も銃を持つガンマニアであり,しばしば近所の野良犬や自宅敷地内に入ってきた犬猫を射殺している人物であったのです。しかも,当日はウイスキーをコーラ割りして飲んでいたこと,妻の前夫とトラブルを起こしており,事件の前に前夫に対して「次に来た時は殺す」などと言っていたことなどの事実も証明されました。そのため,家人の行為は正当防衛には該当せず,殺意をもって射殺したとして65万3000ドル(当時約7000万円)を支払うよう命令する判決が下されたのです。翌年,同州高等裁判所も控訴を棄却したため判決が確定しました。

 男子生徒の両親は,友人らの協力も得て「米国の家庭からの銃の撤去を求める請願書」に署名を求める活動を開始し,米国における銃規制の重要法案であったブレイディ法が可決されたのでした。しかしその後,政権交代等により,2004年に失効となりました。

 

 米国の抱える闇を見る思いがした事件でしたが,米国の銃規制は遅々として進んでいません。その理由を知るためには,米国の出自(「しゅつじ」と読みます。ある著名な方が「でじ」と言われていたのを聴いて,目を丸くした経験があります。)を知る必要があります。それを知る書籍として当職は,神野正史著『世界史劇場・アメリカ合衆国の誕生』(ペレ出版・2013年)が好著であると思います。