弁護士 濵門俊也
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「新3大・千代の富士の横綱相撲」

「新3大・千代の富士の横綱相撲」

2015/06/25

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

当職は,毎週水曜午後11時15分から絶賛放送中のテレビ朝日の番組「マツコ&有吉の怒り新党」を毎週楽しみに視聴しています。とくに「新3大○○調査会」に注目しています(ちなみに,その終了後日本テレビの「ナカイの窓」に移るのが当職のスタイルです。)。

昨日6月24日放送分は,「新3大・千代の富士の横綱相撲」(以下「新3大」といいます。)でした。

 

千代の富士関(現在の九重親方)といえば,大相撲で史上3位の優勝31回を誇り,“ウルフ”の愛称で親しまれた「昭和の大横綱」です。当職らが子どものころのスーパーヒーローでした(当時週刊少年ジャンプに連載されていたゆでたまご先生の漫画「キン肉マン」にも千代の富士関をモデルとした「ウルフマン」がいました。)。

九重親方といえば,去る5月31日,東京・両国国技館で歴代横綱10人目となる還暦土俵入り(ちなみに,九重親方のお誕生日は6月1日です。)を披露したことがニュースとなっていましたから,このタイミングでの放送であったと推察します。

 

上記新3大は,有識者としてやくみつるさんが選考した三つの取組[① 昭和60年(1985年)5月場所 対大乃国戦(当時は関脇でした。),② 平成元年(1989年)11月場所 対寺尾戦,③ 平成2年(1990年)11月場所 旭富士戦]を紹介していましたが,いずれの取組も千代の富士関らしい「横綱相撲」であり,はっきりと当時の記憶がよみがえりました(ただし,横綱旭富士関の愛称が「津軽ナマコ」であったことは,知りませんでした。)。

 

入幕間もないころの千代の富士関は,小兵ながらも荒ぶる魂を前面に押し出し,豪快な取り口をしていたのですが,そのことが災いしてか肩の脱臼に悩まされます。この逆境という「挑戦」に対し,千代の富士関はすさまじい筋肉トレーニングという「応戦」で克服しようとします。筋肉で肩関節を固めて,脱臼を防ごうという狙いです。

その結果生まれたのが,鋼のごとき肉体をまとった新生・千代の富士関でした。相撲の取り口も,無理やり,投げを打つスタイルを放棄し,速攻で寄り切るスタイルへ変えました。

その結果,安定して勝ち星を重ねられるようになり,昭和56年(1981年)ついに第58代横綱にまで昇りつめるのです。初入幕から11年が経過していました。

 

その後の活躍はみなさんご存じのとおりであり,その過程で上記新3大の取組もありました。相撲界初の国民栄誉賞受賞もありました(当時は海部俊樹首相でした。)。

 

平成2年(1990年)11月場所の旭富士戦から半年後の平成3年(1991年)5月場所。

18歳の新星,貴花田に黒星を喫した千代の富士関は,引退を決意します(ちなみに,千代の富士関に最後に土をつけたのは,貴闘力関です。決まり手は「とったり」でした。)。

千代の富士関は,引退会見の席上,最初は笑みを交えて「みなさま,長い間応援してくださり,ありがとうございました。月並みの引退ですが…」と語ったのですが,その後思わず言葉に詰まり,目を赤くして,涙をこらえながら発した「体力の限界!気力も無くなり,引退することになりました。」の言葉は今も脳裏にこびり付いています。

 

 

最近は平成生まれの方々ともお仕事をしたり,お話を聴いたりすることがありますが,上記新3大を視聴したことによって,当職らが生まれ育った「昭和」という時代をあらためて考えさせられました。

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