君は「エルトゥールル号事件」を知っているか?
2015/12/07
こんにちは。日本橋人形町の弁護士・濵門俊也(はまかど・としや)です。
●125年前に起きたエルトゥールル号事件
先週末の平成27年12月5日(土)から日本・トルコ合作映画『海難1890』(田中光敏監督)が公開されています。この映画は,125年前に起きたトルコ(当時はオスマン帝国でした。)の軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故を題材としています。トルコが大変親日的な理由の1つには,この未曾有の海難事故において,当時の日本人が身の危険を顧みず,猛烈な台風の中,トルコ乗組員を必死で救助したことがあると思います。
親善航海のため寄港した軍艦エルトゥールル号は1890年9月16日夜半,帰航の途中,和歌山県串本町の紀伊大島沖で,猛烈な台風のために岩礁に激突,蒸気機関が爆発し二つに割れ沈没しました。
この海難事故で,艦長以下587人が殉職し,紀伊大島の島民たちの必死の救助で助かったのは,69人に過ぎませんでした。しかし,この献身的な救助活動は,トルコ国民に直ちに伝えられ,今でも時代を超えて語り継がれています。
●95年後にトルコが「恩返し」
この両国の「絆の物語」には続きがあります。イラン・イラク戦争で緊迫する状況の1985年,イラン在住の日本人200人以上が脱出できず途方に暮れていました。同年3月17日には,時のイラク大統領サダム・フセインが「48時間」という期限を切って「イラン上空無差別撃墜宣言」を行いました。
世界各国は自国救援機をイランに派遣したのですが,日本は自衛隊機もいまだ法律的に直接派遣できず,民間航空会社も危険を理由に救援チャーター機にしり込みしたのでした。テヘラン空港に駆け付けた在留邦人はパニック状態になったのは想像に難くありません。
その時,在留邦人の窮状を救ったのはトルコ政府でした。2機のトルコ航空機をテヘランへ派遣することを申し出て,215人の在留邦人を無事に救出することができたのです。当時イランにいたトルコ人は,日本人よりはるかに多い500人以上で,彼らは陸路を車で脱出するしかなかったといいます。
在留邦人たちの感謝の言葉に対して,トルコ政府ははっきりと答えたといいます。
「私たちは,95年前のエルトゥールル号の恩返しをしただけです」
先に紹介した映画『海難1890』はこの2つの友情と絆を描いた感動の物語となっているようです。
●歴史への眼を磨け
当職が歴史好きであることは,しばしば本ブログでも触れていますし,「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」というドイツの名宰相であるオットー・ビスマルクの箴言もしばしば引用させていただいております。
たとえば,現在,ロシアとトルコが仲違いしておりますが,両国には500年もの戦争の歴史があります。仲が悪いのは今に始まったことではないのです。
「歴史への眼を磨け」とかつて師匠にお言葉をいただきました。当職は正視眼で歴史を見る訓練を忘れないようにしています。
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弁護士 濵門俊也
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