弁護士 濵門俊也
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日本航空123便墜落事故発生から30年に思う

日本航空123便墜落事故発生から30年に思う

2015/08/12

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 乗客乗員520人が犠牲となった日本航空123便墜落事故(以下「日航機墜落事故」といいます。)は,本日(平成27年8月12日),事故発生から30年を迎えました。

 日航機墜落事故は,1985年(昭和60年)8月12日(月)18時56分,東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-100(ジャンボジェット,機体記号JA8119,製造番号20783)が,群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した航空事故です。当時,当職は中学生でした。

 事故発生から13時間もの間救助活動が行われなかった状況を見た父が,テレビに向かって「自衛隊は何ばしよっとか!助かる命も助からん!はよ,救助ばせんか!」と怒りを露わにしていたことを鮮明に覚えています(ちなみに,当職は「救助でくっなら,とっくに救助しとらすはずばい。中学生のごたるこつば言うなよ」と父の姿を見ていました。ただ,少しでも多くの命が救われることを祈っていました。)。

 

 日航機墜落事故を題材とした小説としては,山崎豊子著『沈まぬ太陽』横山秀夫著『クライマーズ・ハイ』があります。それぞれ,映画化等もされました。とくに当職は,山崎豊子さんの大ファンですから,熱を帯びつつ唸りながら読んだ記憶があります(本ブログでも,いつか山崎豊子さんに触れたいと思います。)。

 

 日航機墜落事故にはよく知られている事実があります。それは,事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた事実です。また,機体には振動を防ぐ重りとして,一部に劣化ウラン部品も使用されていました。

 これらの放射性物質が,事故機墜落によって現場周辺に飛散し,放射能汚染を引き起こしている可能性があったのです。このため,捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊が,すぐに現場には入らず,別命あるまで待機するよう命令されたとのことです。

 この当時は,マスメディアも批判報道をしたことを覚えています。その教訓を生かしてか,東日本大震災の時は,自衛隊が率先して救助活動していただきました。自衛隊でなければできない行動・オペレーションがあることを忘れてはなりません。

 

 当職の座右の銘としている言葉の一つに「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ。」というものがあります。これは,鉄血宰相といわれた初代ドイツ帝国宰相であるオットー・フォン・ビスマルク(1815-1898)の言葉です。

 直訳しますと,「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ,最初から自分の誤りを避けるため,他人の経験から学ぶのを好む。」となります。

 

 九州電力は,昨日(平成27年8月11日),川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)の原子炉を再稼働させました。2013年7月施行の新しい原発規制基準のもとでは初の原発再開であり,東日本大震災後、2013年9月から約2年間続いた「稼働原発ゼロ」の事態は終わりました。よりによって,東日本大震災の月命日に再稼働するというセンスを疑うものですが,日本人は,経験にすら学んでいない,すなわち,「愚者」ですらないように感じられます。愚者の下には,「虚者(うつけもの)」,「痴愚者」の段階があり,「自分勝手なことをする者」,「他人を傷つけることをする者」の意味とされています。

 「日本のいちばん長い日」が近づいています。さきの戦争からも日本人は学べることがたくさんあります。当職は,常に歴史を学んでいます。

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