弁護士 濵門俊也
お問い合わせはこちら

名言シリーズ・「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」(by平野龍一先生)

名言シリーズ・「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」(by平野龍一先生)

2015/09/18

こんにちは。日本橋人形町の弁護士・濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」という言葉は,著名な刑事法学者である平野龍一先生(以下「平野先生」といいます。)が『現行刑事訴訟の診断』(団藤重光博士古稀祝賀論文集第四巻,初版第1刷昭和60年8月30日,有斐閣,以下頁数で引用します。)で述べられている最後の言葉です。

 平野先生は,当時わが国の裁判が「調書裁判」といわれていたことに対し,「公判廷は,単に証拠を受け渡す場所,あるいはせいぜい証拠収集の場所(公判廷で証言させ,それを公判調書又は裁判官のメモに転換する場所)であるにすぎない。本来,心証をとる行為が『証拠調べ』だとすれば,わが国では『証拠調べ』は裁判官の自室・自宅でなされるといってよい。」と痛烈に批判しておられました(418頁)。

 平野先生が「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」との結論に至られた部分について,以下引用します(422頁~423頁)。

 

 「…………日本の裁判官その他の司法関係者は,そもそも法廷というところは真実を明かにするのに適したところではないと考えているように思われる。人が相手に真実を語るのは,二人だけのところで,心を打ちあけて語るときであって,法廷のような公開の場所では,いろいろな方面への配慮から,思い思いのことをいうにすぎない。法廷とは,いいたいことをいわせる儀式にすぎない,だから真実は,後でその模様を考えあわせながら静かに調書を読みこれとつきあわせることによってえられるものである,ということなのであろう。

 

 もしほんとうにそうであるならば,むしろ公判廷が証拠調べの場所すなわち心証をとる場所であるというフィクションは脱ぎ捨てた方がいいだろう。しかし,アメリカやドイツで本気で公判廷で心証をとろうとしているのを単なる教条主義とみていいものであろうか。調書もまた『種々の配慮』から,多くの真実でないものを含んでいる。それを『自室』で見抜く眼力を持つと裁判官が考えるのは自信過剰であり,大部分は実は検察官・警察官の考えにのっかっているにすぎないのではなかろうか。最近の再審事件は氷山の一角としてそのことを示したのでなかろうか。

 

 ではこのような訴訟から脱却する道があるか,おそらく参審か陪審でも採用しない限り,ないかもしれない。現実は,むしろこれを強化する方向に向ってさえいるように思われる。わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。

 

 当職は,受験時代に平野先生の言葉に出会いました。現行の刑事裁判は,「参審」でも「陪審」でもなく,「裁判員裁判」を採用しました。平野先生は,現行の裁判員裁判をどう思われるでしょうか。「絶望」は,「希望」となっておりますでしょうか。「失望」にならないように精進いたします。

 「待て,しかして希望せよ!」(アレクサンドル・デュマ著,山内義雄訳『モンテ・クリスト伯 七』(岩波文庫)より)

----------------------------------------------------------------------
弁護士 濵門俊也
東京都中央区日本橋人形町1-6-2 安井ビル5F
電話番号 : 03-3808-0771
FAX番号 : 03-3808-0773


日本橋にて刑事事件に素早く対応

----------------------------------------------------------------------

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。