弁護士 濵門俊也
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416年前の9月15日は,天下分け目の『関ヶ原』

416年前の9月15日は,天下分け目の『関ヶ原』

2016/09/15

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 今から416年前の本日9月15日は,あの「関ヶ原の戦い」が行われた日です(もちろん旧暦ですが)。戦いに勝利した徳川家康は,ついに天下取りへと突き進むこととなります。文字どおり,関ヶ原は「天下分け目の戦い」だったといえます。
 先日11日にNHKで放送された大河ドラマ『真田丸』(毎週楽しみに視聴しております。)第36回『勝負』においても「関ヶ原の戦い」が描かれましたが,藤井隆さん演じる佐助からの報告だけで1分足らずで終わってしまいました。ネット等では「超高速関ヶ原」,「斬新な脚本」などと評されています。この三谷幸喜さんの演出は,あくまでも真田家の目線で描かれているという説明が多いのですが,当職は,横山光輝『三国志』(以下『横山三国志』といいます。)へのオマージュともとれると思います。
 『横山三国志』といえば,三国志前半の見せ場である『官渡の戦い』をわずかなコマで描いた(描いていないという見方もできます。)というシーンがあります。三谷さんが『横山三国志』のファンであることからすれば,「超高速関ヶ原」は決して「斬新な脚本」ではなく,『横山三国志』を意識されていた脚本ではないかと推察します。ちなみに,劇中で本多正信が食していた「鶏肋」は,名門の子弟として生まれ,曹操に仕えその才能を愛されたものの,曹氏の後継者争いで曹植に味方したため,その才能を警戒され殺害された楊修のエピソードを彷彿させます。

 明治時代初期,陸軍大学校の教官に招かれて来日したドイツの軍人メッケル少佐は,関ヶ原での両軍の布陣を見るや,「西軍の勝ち」と即座に答えたという有名なエピソードがあります。戦術的に見れば,石田三成の勝利であったわけです。しかし,実際はそうはならなかった。決定的だったのは小早川秀秋の裏切りでした(それ以外にも家康の裏工作によって西軍の士気は低く,内通者も多かったようです。戦略的にはすでに家康が勝っていたといえるかもしれません。)。

 歴史にifはありませんが,もし「西軍の勝利」となっていれば,大坂(当時はこう表記しました。明治になるまで用いられました。現在は「大阪」ですからお気を付けください。)で豊臣秀頼を中心とした政治が行われたか(現在の秀頼研究の成果をふまえれば,この可能性は十分あり得たと思います。),はたまた再び戦乱の世に逆戻りしたことも考えられます(この場合,信長・秀吉・家康の「三英傑」を超える人物が登場しなければ天下統一は果たせないわけですが,あまり期待できなさそうです。)。

 いずれにしても,家康が敗れていたならば,1603年の「江戸幕府」開府はなかったことでしょう。「現在の東京を中心とした日本の繁栄は,関ヶ原に始まった」ともいえるかもしれません。

 実際の歴史では,関ヶ原の敗戦後,毛利家は120万余石から36万9000石という大幅な減封処分を受けて屈辱を強いられるものの,長州藩として家名は保ちました。毛利家ではこの屈辱を代々伝えて決して忘れず,その執念が250年の時を経て,倒幕の中心となって日本の歴史を大きく動かした明治維新の原動力となります。明治維新後は,最も内閣総理大臣を輩出した県としていまだ君臨しているわけですから,歴史というものは実に面白いものです。

 

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